ÿþ Journey
     
旅行記
Kelseyvilleの長い夜
 
   




2000年1月4日、時刻は深夜0時過ぎ。
私は遠くカルフォルニアの辺境の地に立っていた。
高速バスに乗って途中で降りる予定が、寝過ごして終着点まで来てしまった。
運転手さんの迷惑そうな顔が忘れられない。
バスを降りたのは良いが、周りは見慣れない田舎道。
この先がどんな道で、どこに向かうのかも分からない。
お金をケチらず、地図ぐらい買っておけば良かった。
バスはとっくに去った。静かで暗い。怖い。
凍てつく空気。体感気温は0℃、気分的にもゼロ。
希望はゼロか。いや、希望は自分で創り出す。
どこに向かえば良いのか、検討もつかないが、とにかく前に進むことにした。
動かないことには自分の中の熱が冷める。生命が消えてしまう。
歩かないといけない。歩かないと凍え死んでしまう。
死にたくないと感じるのは、生物としての本能だろう。
体調面においても本調子では無い。喘息で長期入院したのは、ほんの1ヶ月ほど前。
頼むから、再発などしないでおくれ。
見上げると、夜空には三日月と無数の星。こんな時でも美しい。
吐息が白いのは、煙草の煙だからか、寒い冷気だからか。

君が寒さに丸くなり、耐えている姿が非常に可愛らしく見えた。
同時に、自身の無知といい加減さを嘆いた。
それがほんの数時間前のこと。何だか、とても遠い昔の様に思える。
私は、何の為にここに居るのだろう。
誰の為に、わざわざこんな所まで来た。
迷わず行けよ、行けば分かるさ・・・と説いた偉人がいる。
だが、目的地が分からずに歩き続けるのは心細いものだ。

自然の中に投げ出された時、私はとことん、自分の無力さを実感する。
人間としても、動物としても無力。
無力ながらも、頼れるのは自分しかいないのだが。

今まで“自分は強い”と勘違いできたのは、沢山の他人と、過去の偉人達の財産のお陰だった。
例えば、今、歩いているこの道だって、名も無い誰かが作ってくれた。

どれだけ歩いたのだろうか。方角としては北・・・か西の方に向かっている気がする。
頭の中で、いろいろな思考がぐるぐるぐるぐる。
そういえば、あのバスの終着地点にはガソリンスタンドがあった。
公衆電話もあったかもしれない。
例えば、その公衆電話を使って、日本の家族に連絡を取れば良かったのだろうか。
時差が17時間もある場所から、今、こっちは大変だよ~と、わざわざ情報連絡するべきだったのか。
否。
遠く離れた場所にいる家族を、わざわざ心配させて何の意味がある。
相手としては、そんな困ってますよアピールをされても、物理的に助けようがないし、どうしようもない。
現状は、何ひとつ解決されない。
私が今できる最善のこと、それは歩き続けることだろう。
歩き続けることで、生命の熱を維持する。
見上げると、相も変わらずキレイな夜空・・・

どれだけ歩いたのだろうか。
時計は3時を回った。
1時間ごとに吸う煙草一本一本が、仄かな安らぎとなる。
こんなものが、愛おしくも思える。
途切れてはいけない。
ちっぽけな煙草の火の明かりと温もりが、希望となる。
この試練を乗り越えることで、私はまた、一皮剥ける。

どれだけ歩いたのだろうか。
随分と足が痛くなってきた。
月明かりの下、薄暗い夜道だが、時たま、ライトが眩しい自動車が通る。
その度に、私は道横の茂みに隠れる。
こんな深夜に走る自動車にはどんな人間が乗っているのか、見当もつかない。
見当がつかないから、恐ろしい。
そういえば、人間が一番恐れるのは人間・・・そんなことを誰かが言っていた。
もっともだと思う。
私利私益、妬み、怨み、怒り、焦り、偽り、恨み・・・
人間が持つ、これらの悪い要素を、自然は保持していない。
自然は、どこまでも自然体で、そこに特別な理由も感情もなく、当たり前のごとく流転する。
どこまでも雄大で、強大で、無限で、絶対的な存在。
ただただ、そこに“在る”存在の自然は、その、自然が自然で“在る”という事実を、絶対に裏切らない。
人によっては、それが怖いという。
だが、私にとって、自然は存在自体が強大過ぎて、怖いという対象にはならない。
怖いのは人間、強いのは自然、弱いのは自分。
嗚呼、寒くなってきた。
朝になれば全てが解決される。そんな気がする。とにかく、今は動くしかない。

どれだけ歩いたのだろうか。
時計は5時を回っていた。
空の端っこが微かに明るくなってきた。
やはり、こちらの方角が東か。
太陽が愛おしい。
心に希望が芽生えて来た。

その一方で、ボストン・バッグがズシリと重みをかけてきた。
中にあるのは、5、6冊の週間ゴングと服・・・柔道着やら靴下が入っていた。
何かチョコレートでも買っておくべきだったなあと、煙草に火を灯しながら思う。
遭難と言えば、ギブミー・チョコレートだ。

これまで、20年、行きてきた。
人によってはまだ20年・・・
こういう独りの時間の時、どうしても昔を思い出す。
良い機会ではないか。
私は、5歳ぐらいの頃までは、自分のことを特別な人間だと思っていた。
特に根拠もなく、自分は主人公で、世界の中心にいるんだと。
だけど、本当に大事なのは、自分の中心を知る事だった。
自分の中心・・・すなわち、“信念”を持ち、ブレずに、“情熱”を持って行動すること。
どれだけちっぽけで、有限で、意気地のない存在であっても、自分なりの中心地を創り出せば良い。
そのことに気づいたのは、高校を卒業する少し前だろうか。

いい加減、どれだけ歩いただろうか。
時計は7時を過ぎ、太陽は昇っていた。
だが、予想外にも、太陽光の温かさはほとんど感じられない。
いや、むしろ夜中よりも寒いのではないか?
そう感じるのは自分の体調の問題か。
いよいよ、自分の中の“熱”が、残り少ないということか。
疲れがドッとこみ上げてきたのか、もの凄く眠い。
お馴染みの太陽と再会できた、その安堵感もあるか・・・

良いアイディアが浮かんだ。
この際、寝ちゃうか?
もう朝になって陽も揚がっている。
道端で寝ても、人に襲われる可能性はグッと少ないはずだ。
早起きの人間に、悪い人はいない。
動物に襲われることもない。
ないというか、ほとんど可能性は低い・・・と思う。そう思いたい。
熊は冬眠中だし、オオカミはこの時期、何かと他のことで忙しいだろう。

もう目が回るぐらい、眠い。
悩んでるヒマは無い。
ここも同じ地球上。
私は歩道の横の地面に横になった。

・・・・寒い。
寒いというより、冷たい。
良く見たら、地面には霜が走っている。
こんなところで寝れるか!!と思いつつ、頑張って目を閉じる。
2分ほど経過したところで、突き刺さる様な頭痛に見舞われた。
月並みの表現だが、身体の芯の芯まで冷える寒さだ。
特に、顔、肩、背中と足先?
何だか、ここで寝たら、2度と目を覚ますことができない様な気がしてきた。
それは、やっぱり、ちょっとだけ嫌だなあ・・・

非常に頭が重いが、歩き続けることにした。
一度、途切れた心は、身体の歯車を狂わせる。
もう、なり振り構っていられない。
私は、ジャケットの上に、柔道着を装着した。

(Satoshi Takahira氏とのコラボレーション)




 
 

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